2024年 フリー宣言へ!
ストップ・ザ・豚コレラ
豚コレラ清浄化実行委員会 再結成趣意書
ストップ・ザ・豚コレラ 豚コレラ清浄化実行委員会 再結成趣意書
豚コレラ清浄化実行委員会
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事務局 山下哲生 まで
豚熱撲滅!
ヨウトン サイコウ!
ストップ・ザ・豚コレラ 2024年フリー宣言!
アフリカ豚コレラ 防圧!
日本の養豚産業は今、崖っぷちにたたされています。
豚熱(豚コレラ)の再発、アジア近隣諸国でのアフリカ豚コレラの蔓延、これまでの最大発生となっている鳥インフルエンザの拡大は、養豚産業をはじめとする日本の畜産業全体の脆弱性をも示しています。
かつて、日本に向けて最大の豚肉輸出国であった台湾は、2020年6月、足かけ24年をかけて輸出阻害要因であった口蹄疫を撲滅を達成し、国際獣疫事務局(OIE)から、口蹄疫フリーのお墨付きをもらい、日本をはじめとする旧輸出国に輸出再開の協議を申し入れ、日本の食肉輸入業者の訪問も始まっています。
国内では、2019年10月より豚熱ワクチンは解禁され、現在28 都府県で野生イノシシの豚熱感染=陽性反応の確認とワクチン接種が実施されています。野生イノシシの感染は想定以上のスピードで、北東北、中四国、九州に及ぼうとしています。
さらに昨年1月の沖縄での発生、ワクチン接種後にもかかわらず各地で発生する豚熱はアフリカ豚コレラ伝播の可能性もあるなか、その発生原因をめぐり、ワクチンでも守りきれないのではとの絶望感が業界内に漂っています。
そして、私達の運動で勝ち取った貴重な豚コレラフリーのOIEによるお墨付きは、2020年9月に消失しました。
私達は、このような危機に対し再び志ある養豚家及び関係者のすべてを糾合し、豚コレラ清浄実行委員会を再結成、清浄化を求める運動を25年ぶりに再始動させる決意をしました。
OIE のルールにのっとり、これまでの知見、歴史の検討から、知恵を出し、2024年に再度フリー宣言を発出できるよう、次の3点をフリー宣言のための3ポイントとしその実行を求めます。
①全国規模で都道府県の行政区画を考えず野生イノシシ摘発、撲滅のためのゾーニング(包囲殲滅の区割り)を行い、最新の知見をもって、すみやかに、ゾーン内の野生イノシシからの感染の輪を断ち切る。
②全国規模で、マーカーワクチンによる豚熱ワクチンの一斉接種を行い、特にゾーン内での豚熱野外感染の可能性をこれで検査し、ゾーン内の野生イノシシからの感染可能性がなくなった段階でワクチン接種を速やかに中止し、フリー宣言に向けての準備をする。
③清浄化は、養豚産業にとり、今後の存続をかけた大きなモチベーションをかけた、行動提起である。よって野生イノシシ駆除に積極的に協力し、各地区の猟友会への参加、箱わな等のわな設置にも尽力し撲滅、摘発に努める。
我々の提起は、ワクチンによる「受身」の防疫から、野生イノシシの根絶による積極的防疫=清浄化ステータスの再度の取得を目指すものです。
この根拠として、2020年夏ヨーロッパのベルギー及びチェコで行われたゾーニング、野生イノシシの積極的駆除でアフリカ豚コレラからのフリーステータスを獲得した事例を挙げねばなりません。OIEの指針では、過去1年にわたり飼養豚、野生イノシシに病気の発生が無いこと、ワクチン接種がないこと(マーカーワクチンを除く)でフリーのステータスが獲得できます。
山が多く地形が複雑な日本では最初から無理だという話がまず出てくるのも事実です。
しかし、この日本で、350年前9年かけて8万頭の野生のイノシシを領民を総動員し、かつその負担に見合う代価を払い、以後、最近の平成6年まで野生イノシシの生息とその被害ゼロを貫いた世界にも誇りうる例が長崎県対馬にあります。
それは、陶山訥庵(とつあん)という優れた対馬藩の行政官の手によるもので、その実績と配慮に対し「農聖」と呼ばれている人物です。その計画は緻密で島を5ブロックにわけ、大小の柵でゾーニングし、徐々にイノシシを追い詰めるとともに、鍛冶屋を設け鉄砲を生産しその使い方を教え、かつ狩猟犬を200匹領民を1,000名近く動員、海に逃げるイノシシを海上で捕らえる用意も整えました。その緻密さと計画性は、養豚界よりもビジネス界で高く評価されており経営のランチェスター戦略のお手本として紹介されてきています。
豚熱の清浄化に対しては、いろいろな議論があるでしょう。しかし、現在の施策では、そのゴールは見えず、完全に豚コレラウィルスの侵入を食い止める手立ては、みえません。唯一具体的な手法で国際的にも認められるのは、野生イノシシからの感染の否定だけです。私達は、先人の情熱を受け継ぎその知恵を生かせば、短期でのフリー宣言再発出は、十分可能だと考えます。私達に残された時間はわずかです。
私達は、今再び「ストップ・ザ・豚コレラ」のスローガンを掲げ、業界を挙げて、豚コレラ(豚熱)撲滅、2024年フリー宣言を目指し、また進もうではありませんか。
◆令和3年:野生イノシシ撲滅計画の策定 ゾーニングプランの策定 マーカーワクチンに切り替え全国ローラー接種
◆令和4年:ゾーニング内での野生イノシシの駆除摘発抗体検査、ワクチン接種豚の抗体検査
◆令和5年:ワクチン接種中止と野生イノシシの撲滅、陰性確認 OIEへの申請
◆2024年(令和6年):豚コレラフリー宣言
1995年(平成7年)に出された豚コレラ清浄化実行委員会の豚コレラ清浄化アピール
私たちの産業のために!
私たちの消費者のために!
私たちの豚たちのために!
豚コレラを清浄化=撲滅しよう!
私たちが今、決意し、行動することで、日本の養豚産業は多いに元気になります。豚コレラを清浄化できないがために私たちは、清浄化=フリー宣言している国々と比べ、何倍もの衛生費の負担をしいられています。
一方、私たちの消費者に対しても、日本の養豚産業がいまだに豚コレラを清浄化できていないことは、輸入豚肉との差別化を図ること、国産豚肉の信頼性を高める上でのウィークポイントトナリマス(デンマーク、アメリカは、ともに豚コレラ清浄国).。また、離乳ショックから立ち上がり、回復期にある子豚たちに注射をすることは、大きなストレス要因となり、その発育に悪影響を与えます。
何よりも大切なことは、豚コレラが、私たちの決意と実践、関係機関の協力で容易に清浄化できるということです。確かに、その方法をめぐっては、いろいろな議論があります。しかし、清浄化できないとゆう議論は一つもありません。問題は、私たち、そして私たちを含めたすべての関係者の清浄化に向けての情熱と実践、それによるプログラムの実行です。
豚コレラ清浄化=フリー宣言の実現は、日本の養豚産業に活力と自信を与えます。他の課題となっている衛生問題に対しても、新たな取り組みと展望を開くことができます。文字通り、この問題の解決のなかに私たちの未来はあるのです。
私たちの情熱と団結、問題解決への固い決意のもと、関係機関、すべての業界関係者の協力を得て、日本の豚コレラ清浄化=フリー宣言を実現し、養豚産業を
元気にしましょう。
参考資料
PIGPROGRESS 電子版 2021年1月26日
ニュース
2021年1月26日
ベルギーのASFゾーンの養豚場が再稼働をはじめる
ベルギーは、2018年から2020年の間にアフリカ豚コレラ(ASF)に見舞われた南部地域にある養豚場の再稼働を開始しました。
これらの農場は、ルクセンブルク州の南、ルクセンブルクに隣接しています。2020年10月1日、ベルギーのイノシシの群れにASFがないことがEUによって確認された後、2020年12月22日に国際獣疫事務所(OIE)よっても追認され、2021年1月25日に再稼働の許可が与えられました。
新しい豚が導入されるベルギーのルクセンブルク南部州の農場
合計67の養豚場が閉鎖
再開のニュースは、食品チェーンの安全のためのベルギー連邦庁(FASFC)によって公示されました。2018年9月にその地域のイノシシからASFが検出されたとき、合計67の農場が閉鎖されなければなりませんでした。その地域のイノシシからASFが検出されました。この地域には養豚場が密集していないため、4,150頭の豚を処分する必要がありました。さらに、これからの農場は少なくとも18か月間「空」のままでなければならず、損失利益は当局によって補償されました。
養豚場再開とは別に、ベルギー当局は豚の輸送規制も緩和します。1台のトラックで、さまざまな農場から豚を拾うことが再び可能になりました。さらに、複数の施設でトラックに積まれた繁殖豚を配達することが可能です。ただし、FASFCは、豚の生産者にバイオセキュリティ対策を引き続き念頭に置いておくように注意を促しています。
2年間の緊急ASF撲滅対策の終了
これらの特別措置の撤回は、2年以上の緊急政策の終了を意味します。輸送車両の清掃と消毒、および適切な農場の衛生に関する規則は引き続き実施されています。
消えないのは柵です。監視区域では、これらは引き続き存在し、維持されます。さらに、ハンターは少なくとも8月下旬まで、イノシシとその死骸を探し続けます。イノシシは引き続き淘汰され、ASFvの検査が行われます。さらに、死骸のDNAをテストして、新しいイノシシがその地域に侵入しないことを監視します。
833感染したイノシシの死骸
ベルギーは最終的に、2018年9月から2020年3月の間に833頭のイノシシと感染した死骸を発見しましたが、最後のいくつかの発見は数か月前に死亡した動物の乾いた骨でした。近年、ベルギーとチェコ共和国は、イノシシの個体数におけるASFの発生を抑制したことが知られている数少ないヨーロッパ国です。ヨーロッパの他のすべての国では、発生は継続しており、国内の豚にも広がっています。ヨーロッパの他のすべての国では、野生イノシシにおけるASFの発生は継続しており、または飼養されている家畜の豚にまで広がっています。
アン・マリー・ファン・デル・リンデ
乳製品、牛肉、豚の記者
参考資料
ドイツ ポーランドにおけるアフリカ豚コレラ対策
これには、いかに水平感染を防ぐかとゆう課題の上で、ゾーニング封じ込めと淘汰の重要性について述べられています。
PIGPROGRESS 2021年1月18日 ニュースより
ASFドイツ:国境での感染拡大の火種
ドイツは、現在の4つよりも多くのアフリカ豚コレラウイルスのホットスポットがないことを望んでいます。したがって、国はウイルスを防ぐために恒久的なフェンスを建設しています。冬の数ヶ月で病気の圧力が高まる中、それは時間との戦いです、とPigProgressの編集者VincentterBeek氏は書いています。
1週間ほど前、ドイツの養豚業界全体が息を呑んだ。首都ベルリンの南西にあるポツダム市の近くで、イノシシの死骸の疑いが見つかりました。これがアフリカ豚コレラ(ASF)の場合であることを確認するために、ブランデンブルク州立研究所は、死骸をフリードリヒ・レフラー研究所(FLI)の国立参照研究所に送りました。
以前の状況では、ブランデンブルクの州立研究所の早期通知は常に正しいものであったため、これが誤報であると信じる理由はありませんでした。それでも、今回は「ネガティブ」な結果がポジティブなニュースでした。1月9日土曜日の朝、私のTwitterフォロワーはその投稿で安堵のため息をつきました。
誤警報:ドイツのブランデンブルク州では、死亡イノシシの因子が野生の豚コレラでありASFではないと報告しました。したがって、#ASFが国内にジャンプすることはありません。アンナ・ヘイヤー・スタッファー大臣:「私はこの結果に非常に満足しており、安心しています!」#ASP
— Vincent ter Beek(@vincenttb) 2021年1月9日
距離を飛び越えてジャンプするASFウイルス
FLIが「肯定的な」結果を伝えていた場合、90 kmを超える西へのジャンプは、東ヨーロッパと中央ヨーロッパで過去15年間に見られたパターンに問題なく適合しました。ASFウイルスは、イノシシのみに感染している場合、ゆっくりと広がることが知られています。それでも、人間はウイルスが長距離に広がるのを助ける最大の助手であることが知られています。このようにして、2番目のポーランドクラスターが2019年に西ポーランドで誕生しました。これは、東ポーランドでASFが発生してから5年以上後のことです。そして、人間の行動がベルギーとチェコ共和国でホットスポットの出現を引き起こした可能性が最も高いです。ASFウイルスは、イノシシのみに感染している場合、ゆっくりとしたペースで広がります。それで、人間はウイルスが長距離に広がるのを助ける最大の助手であることが知られています。
国境地帯のASF:ポーランドの統計
ポツダムでの誤警報にもかかわらず、警戒を続ける理由はまだたくさんあります。ドイツとポーランドの国境地帯の現在の状況を見てみましょう。以下の私の分析は、2021年1月18日の早朝に入手できたデータに基づいています。
冬の通常のように、ASFの発生数は常にイノシシで増加します。この冬も例外ではありません。これは、以下の図1でよくわかります。ここでは、西ポーランドの症例数が、発見の瞬間に基づいてプロットおよびランク付けされています。2020年後半に発見された症例に関する情報は、先週も続いています。
ポーランド西部でASFが発見されたばかりの2019年12月、合計126頭の死骸が発見されました。1年後の同じ月に、少なくとも346が見つかりました。これから最も感染拡大する月が来ると、傾向が上昇することは明らかです。
ポーランド西部:2,796匹の感染したイノシシ
2019年11月以降、ポーランド当局は、国の西部だけでクラスター内で2,796頭のイノシシの死骸が発見されたことを伝えています。ドイツとの国境近くの状況を見ると、感染数が増加していることは明らかです。2020年後半、ポーランドの国境の町Leknicaの周辺で多数の症例が発見され、国境の町Kostrzynの北約120kmでほぼ同じことが起こっています。
ASFウイルス感染の多くの候補者
ドイツ側には4本足の感染候補である野生イノシシがたくさんいるので、まさにその圧力がドイツを緊張させます。イノシシの個体数は過去10年間ドイツで増加しており、イノシシのショット数(狩猟数)は通常、個体数の大きさを示す良い指標です。過去10年間で、ショット数はほぼ2倍になりました。直近の狩猟シーズン(2019年4月から2020年3月まで)にドイツで856,000頭のイノシシが撃たれ、2009/2010シーズンの44万頭からの増加傾向の集大成でした。
したがって、ドイツ当局がオーデル川とナイセ川に沿って恒久的なフェンスを建設し、ポーランドとドイツの国境を共同で柵を囲ったことは非常に忙しかったが良いことです。初期の段階では、イノシシを防ぐために羊の柵が設置されていましたが、実際には、川がイノシシの障壁にならないように、これらはイノシシの移動を妨げるものではありませんでした。
国境地帯のASF:ドイツの統計
ドイツの現在のASFの状況は拡大傾向を示しているため、ポーランドからの感染をさらに防ぐ必要があります。最新のドイツのデータでは、2021年までに509の陽性を確認したイノシシのデータがあります。表2に示すように、ブランデンブルグ州では3つの別々のゾーン492ケースに陽性が確認されています。南部では、ザクセン州が1つの感染ゾーンで「わずか」17頭の報告です。
上昇傾向は図2で観察できます。11月中旬以来、週に40頭以上のイノシシが発見さる週間がつづきました。
(ドイツ当局は現在、これらの感染ゾーンの周囲にホワイトゾーンを作成するのに忙しく、そこではすべてのイノシシが淘汰され、ウイルスが未感染のイノシシに感染するチャンスはありません。ホワイトゾーン(感染予防地域)にイノシシがいないことが確認されると、ハンターは感染ゾーンで淘汰を開始します。)
ブランデンブルク州:ASFフェンス
ドイツでは、国境での恒久的なフェンスの建設は国レベルでは行われていませんが、メクレンブルクフォアポンメルン州、ブランデンブルク州、ザクセン州の3つの国境州の責任です。完成後、ブランデンブルク州の柵の全長は270kmになります。
現在、州は国境都市フランクフルト・アン・デア・オーデルの間のフェンスを完成させ、ザクセン州との国境に向かって南に120kmの距離を走っています。フランクフルト・アン・デア・オーデルの北、メクレンブルク=フォアポンメルン州との国境に向かって建設が進行中であり、現在約50kmが完成しています。当局は、このタスクがいつ完了するかを予測することは不可能であると述べました。
ヨーロッパの牧草地を歩き回るイノシシ
ザクセン州:ASF柵
ザクセン州は2020年11月中旬に恒久的な柵の建設を開始しました。カラスが飛び交えりしますが、ザクセン州とポーランドの国境は80km以上に広がります。ナイセ国境の川がかなり蛇行しているのを見ると、ここの柵の最終的な長さは長くなります。この柵の高さは1mなので、鹿が飛び越えることができます。
メクレンブルクフォアポンメルン州:ASF柵
メクレンブルクフォアポンメルン州北部では、2020年11月下旬に柵が使用されました。この州はポーランドとの国境が63 kmと比較的短く、建設が容易でした。
フェンスはASFウイルスを防ぎますか?
ここで大きな問題は、恒久的なフェンスが完成したら、ウイルスを制御し続け、さらなるホットスポットの出現からドイツを保護するのに十分でしょうか?明らかに、完全に確信することはできません。ウイルスが突破する可能性のあるさまざまな方法があります。
柵を壊す(鉄道)道路が常にあるため、柵が100%防御になることはありません。さらに、猛禽類や昆虫は、国境を越えて飛ぶ前に感染した死骸と接触した場合、ウイルスの機械的媒介動物である可能性があります。そして最大のリスクを忘れないでください:私たち、人間。彼らにとって、高すぎる柵はありません。
ASF感染のリスクを減らす
ただし、通常の状況では、恒久的なフェンスにより、ウイルスがさらに広がるリスクが大幅に減少します。ベルギーとチェコ共和国の両方で示されているように、感染ゾーンの周りに恒久的なフェンスを建設し、インテリジェントな狩猟を組み合わせることで、ウイルスを制御できるようになりました。これは最終的に豚市場にプラスの影響を与えました。
それは残りのフェンスの建設を時間との真の競争にします。結局のところ、ランダムなイノシシの発見はもはや話題にならないはずです。
「飲水思源」
水を飲むときは、水を運んだり、井戸を掘った人のことを思い出し感謝しなければいけない。
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すえやま・とつあん 像
訥庵 別に 鈍翁(ドンオウ)ともいう。
訥庵とは、どもったり、言葉に対する反応が鈍いことをさす。鈍翁も 同じような意味だが、実際は、強い意志と優秀な頭脳、暖かい心を持った武士で対馬の聖人ともゆわれている。
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310年前の江戸時代 8万頭の野生イノシシを緻密な計画と民衆の力でゾーニングの手法で9年かけて撲滅 以後 平成にいたるまでイノシシの食害をゼロに導いた、江戸時代の対馬藩の農政奉行その業績で「農聖」と呼ばれた陶山訥庵について、紹介いたします。
陶山訥庵(鈍翁) (1657-1732)
長崎県対馬島の医師の家に生まれ、11歳で抜き出でた才能が認められ、対馬 江戸をたびたび往来、当時の最高の儒者としられた木下順庵の弟子となる。
1690年に対馬藩の役人となり、交渉ごと、農業政策策定にあたり実績をつむ。1699年に藩の農業大臣にあたる郡奉行就任 翌1700年秋より「殲猪令」(センチョレイ ・ イノシシの淘汰殲滅の計画実施)を 出し以後9年(当初の計画では4年)かけて、島内のイノシシをゾーニングで北から南に5つの仕切り柵で順次追い詰め最終的に1709年対馬最南部でイノシシを殲滅、以後平成6年(1994年)までイノシシは対馬から姿を消した。
この事業は、上からの号令でなされたのではなく、非常に緻密に計画され、まず、農民からの積み立て金をつくり原資をつくり、さらに、殲滅に必要な鉄砲を製造、猟犬も増やし、役割分担、柵の仕様イノシシの追い詰め方、その数の把握まで、きっちり定められ、かつ領民の負担にならないよう12月から翌2月までの3カ月間の期間事業とした。
参加した領民には、仕事に応じ米が支給され、報奨制度も設けられた。
このイノシシの撲滅でその後300年にわたり、これまでの、焼畑の麦、そばなどの雑穀生産から水田生産、イノシシの食害のない整備された畑からの商品作物の生産への農業形態も大きく変わり、農業生産は飛躍的に上がり豊かな島へ変貌した。
対馬は、島の88%が山林で、100~300mの山もそびえている。日本では、野生イノシシの駆除など はなつから 無理といっている見方も多いが、今以上に情報、機械もない中、このような、先人がいたことを考えなくてはならない。
陶山訥庵の力は、私たちに未来を指し示すものではないだろうか。
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